旧ソ連海軍(現ロシア海軍) ウダロイ
軍艦大好きさんの作品集
Gallery 3 2005
我が造船所の本年の方針は、旧日本軍艦艇(特に日露戦争当時の艦艇)や、海上自衛隊艦艇を中心とした建造計画を考えています。

<実艦について>

ウダロイ級駆逐艦は巡洋艦並の8,000t(満水排水量)の船体を有し、旧ソビエト海軍が対潜重視の強武装艦として10隻を建造してます。ウダロイはそのネームシップとなります。ソビエト崩壊により、現在ではロシア海軍がその多くを所有しているようですが、軍備費の縮小によって退役した艦もあるようです。




<キットについて>

ピットロード社の初期開発キット群に属し、しばらく絶版だったのですが、スカイウェーブ現用艦シリーズM05のまま、2004年に再販されました。ウダロイ級の特徴を良くつかんだキットと評されています。でも、部品の分割が複雑で、マストなどは製作に苦労しますし、反対に船体と一体整形された煙突部分周辺などは筆が届き難い部分があって塗装に苦労します。しかし、完成されれば強武装でカッコイイ「ウダロイ」が出来上がりますので、皆さんも挑戦してみてください。






<作例について>

ウダロイの就航時を再現したつもりです。キットの説明書どおりに作ったとも言います。^^;

手持ちの資料は皆無と言ってよいほどで、唯一、モデルアート2004年3月号(以下MA誌と略す)のみが貴重な情報源でした。最も悩んだのが甲板色で、キットの指示とMA誌の作例の色彩が違っていることでした。どちらが正しいのか(どちらとも正しいのかも?)判断できなかったので、バリエーションの4番艦アドミラル・ザハロフとの色彩の違いを楽しみたかったため、キットの指示に従いました。私が旧ソビエト艦を建造したいと思った直接の動機は、このなんともいえないハイカラ?(表現が古い??)な色彩にあったからなので、少しでも塗装による違いを楽しみたいと思ったのです。詳細は、MA誌の情報が正しいと思いましたが、キットの指示どおりとしました。いつもながら素組ですが、MA誌に準拠してマストのトラス構造を追加、また、キットの説明書に準拠して艦尾飛行甲板の支柱を追加工作しました。

 

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旧日本海軍駆逐艦 夕雲型 夕雲・朝霜

<実艦について>

夕雲型駆逐艦は、日本海軍が建造した最期の艦隊型駆逐艦であり、陽炎型駆逐艦を原型とし、航空機との戦闘に対応できるよう主砲の仰角75度に変更し、また船体長を少し長くして耐波性、凌波性を向上させた駆逐艦であります。1番艦の「夕雲」は1941年12月5日に舞鶴工廠で竣工、1943年10月7日にソロモン海域で沈没。16番艦の「朝霜」は1943年11月27日に藤永田造船所で竣工し、戦艦「大和」とともに戦った沖縄特攻作戦により、坊の岬沖にて1945年4月7日に沈没しました。

<キットについて>
1/700スケールでの夕雲型駆逐艦は、ウォーターラインシリーズ(以下WLと略す)より、ハセガワが1971年に27(新410)「夕雲」、1972年に43(新413)「秋霜」および48(新415)「早波」として発売した古参キットで、発売から30年以上経過しております。また、ピットロード社(以下PT社と略す)からも大戦シリーズとして8-26「夕雲」、W-27「朝霜」が発売されています。WLのキットは船体形状が実艦と大きく異なり、一般の評価があまりよくありません。PT社のキットは後発キットですので、WLのキットの評価は十分に考慮されており、私のようにあまりシビアでないものには多いに満足できるキットと考えます。

 

<作例について>

今回の作例もほぼ素組みで、キットの指定どおり1番艦の夕雲は大戦初期仕様「夕雲1941」、16番艦の朝霜は沖縄特攻作戦時の「朝霜1945」です。しかし、素組みでもPT社のモールドはメリハリがあり存在感が大きいために、私のように実艦の形にシビアでない人ならば十分満足できると考えます。追加工作は舷外消磁電路をプラ板で、また、舷側の窓をピンバイスでさらって表現しました。共にちょっと過大表現なのですが、私は気にいっています。塗装は、我が造船所通例であるGSIクレオスの「舞鶴工廠グレー」で船体を塗り、リノリウム色はPT社の艦船カラーを使用しました。その他には、つや消しの白色と黒色、艦底色などを使用していますが、これらはすべてGSIクレオスのMr.カラーを使用しております。なお、主砲防水布色は「夕雲」では白色を使用して精鋭さを表現し、大戦末期仕様の「朝霜」はセールカラー色を使用して汚れを表現しました。

旧日本海軍の艦隊型駆逐艦の最終発展型となった「夕雲型」駆逐艦、その流れるようなシルエットを見て「カッコイイ」と思ってしまうのは私だけでしょうか

旧日本海軍駆逐艦 朝潮型 朝潮・満潮

<実艦について>

朝潮型は、もともと昭和9年の第二次補充計画によって建造計画された、白露型14隻のうちの10隻です。当時、海上決戦海域の拡大が予想されたために、白露型の航続力、兵装および速力では不十分とされ、白露型の建造は4隻のみで打ち切り(第一次補充計画にて6隻が建造されているので白露型は計10隻となる)となり、残りの10隻は特型駆逐艦並の航洋性を求めた新設計の大型駆逐艦として建造されました。これが、朝潮型駆逐艦10隻です。1番艦の「朝潮」は1937年8月31日に佐世保工廠にて竣工し、1943年3月3日にダンピール海峡で沈没。3番艦の「満潮」は1937年10月31日に藤永田造船所にて竣工し、1944年10月25日にスリガオ海峡で沈没しました。

<キットについて>

1/700スケールでの朝潮型駆逐艦は、ウォーターラインシリーズ(以下WLと略す)より、ハセガワが1971年に28(新411)「朝潮」、1972年に42(新412)「峯雲」および47(新414)「荒潮」として発売した古参キットで、発売から30年以上経過しております。このキットは船体形状が実艦と大きく異なり、一般的な評価があまりよくありません。後発キットとして、ピットロード社(以下PT社と略す)からも大戦シリーズ8-30「朝潮」およびW-31「満潮」が発売されています。PT社のキットは船体形状も特に問題はなく、メリハリのある詳細なモールドとなっているため、私のようなものでは十分満足ができます。

<作例について>

今回もほぼ素組みです。追加工作は舷外消磁電路をプラ板で工作し、窓をピンバイスでさらって表現したくらいです。塗装については、我が造船所の規定に従い、駆逐艦ではGSIクレオスの舞鶴工廠グレーを使用して船体などの主要部分を塗装。リノリウムはPT社のリノリウム色、その他の色はGSIクレオスのMr.カラーを使用しています。

PT社のキットでは陽炎級や夕雲級の後に開発されたキットのため、これらのキットより全体の雰囲気が良く感じられ、個人的に気に入っています。

旧日本海軍軽巡洋艦 長良型 長良・五十鈴

<実艦について>

長良型は大正6年の八四艦隊計画により計画された、5,500t型軽巡8隻のうちの3隻です。この計画ではまず5隻が球磨型として建造されました。残り3隻が長良型前期艦「長良」、「五十鈴」、「名取」となるのですが、球磨型とは船型や主要寸法が同じであり、準同型艦となります。球磨型との大きな違いは、魚雷装備の強化により53pから61p発射管に変更され、また、艦橋に水上機格納庫を設け、艦橋前部の滑走台より水上機の運用を企画したことから艦橋形状が大幅に変更されたことが挙げられます。1番艦の「長良」は大正11年に佐世保工廠で竣工、昭和7年から9年にかけて大改装を行い、なお有力な戦力を保持しつつ大戦に突入。昭和19年8月に九州近海において米潜クローカーの雷撃で沈没しました。2番艦の「五十鈴」は大正12年8月に浦賀船渠で竣工、昭和8年から9年に大改装を行い、また昭和19年より防空巡洋艦に改装されて大戦でも活躍しましたが、昭和20年4月にスラバヤ方面で米潜の雷撃により沈没しました。

<キットについて>

1/700の長良および五十鈴のキットは、フジミとタミヤから発売されています。フジミのキットは、1972年に当時ウォーターラインシリーズ(以降WLと略す)55「長良」、60「五十鈴」として発売されたものです。フジミは1992年にWLを脱退し、現在同社のシーウェイモデル8「長良」、9「五十鈴」として発売しています。一方、タミヤのキットはフジミのWL脱退によって新たに開発されたもので、1993年にシリーズ322「長良」、323「五十鈴」として発売されました。フジミのキットは発売より30年以上経ち、開発が古いため一般的な評価はあまりよくありません。タミヤのキットも発売より10年以上経ちますが、発売当時の考証が盛り込まれ、また、タミヤ風の繊細なモールドで仕上がっており、現在でも評価が良いキットです。但し、大戦後期仕様なため、大戦前期とするにはある程度の改造が必要となってしまいます。


<作例について>

タミヤのキットは考証およびモールドもそこそこであり、素組み派の私には組み上げてからの印象が大変良いため、安心して建造できるキットと思います。「長良」のキットでは21号電探の取り付け位置を変更したために伴う改造と、航空機作業甲板下の支柱追加、左舷後部のボートダビットおよびその取り付け位置の変更を行っています。また、25o単装機銃の装備位置が不明なため、作例では単装機銃を再現しませんでした。さらに、最近の考証では前部魚雷発射管はあったようなのですが、今回は改造を断念しキットのままです。一方、「五十鈴」のキットはほぼストレート組みで、航空機作業甲板下の支柱追加と25o単装機銃の追加、ボートダビットおよびその取り付け位置の変更を行っています。なお、両キットとも艦首波除板を追加工作し、機銃および高角砲はピットロード社(以降PT社と略す)のものを使用しています。船体色は我が造船所規定のGSIクレオスの呉工廠グレー、リノリウム色はPT社の艦船カラーを使いました。その他はすべてGSIクレオスのMrカラーを使用しています。

旧日本海軍軽巡洋艦 長良型 由良・鬼怒

<実艦について>

長良型軽巡の後期型に属する4番艦「由良」、5番艦「鬼怒」は大正7年の八六艦隊計画により計画された、5,500t型軽巡3隻のうちの2隻です。当初の艦名は「由良」が「鈴鹿」、「鬼怒」が「音無瀬」でした。後期型1番艦の「由良」は大正12年3月に佐世保工廠で竣工、大戦までに数度の改装を行い、なお有力な戦力を保持しつつ大戦に突入。昭和17年10月にガ島東方で米軍機の攻撃を受け自沈しました。日本の軽巡損失1号艦です。後期型2番艦の「鬼怒」は大正11年11月に神戸川崎造船所で竣工、大戦までに数度の改装を行い、大戦中も活躍。昭和19年10月にマニラへ向かう途中にパネイ島北東にて米軍機の攻撃より沈没しました。

<キットについて>

1/700の「鬼怒」のキットは、フジミとタミヤから発売されています。フジミのキットは、1972年に当時ウォーターラインシリーズ(以降WLと略す)68として発売されたものです。フジミは1992年にWLを脱退し、現在同社のシーウェイモデル11として発売しています。一方、タミヤのキットはフジミのWL脱退によって新たに開発されたもので、1993年にシリーズ321として発売されました。フジミのキットは発売より30年以上経ち、開発が古いため一般的な評価はあまりよくありません。タミヤのキットも発売より10年以上経ちますが、発売当時の考証が盛り込まれ、また、タミヤ風の繊細なモールドで仕上がっており、現在でも評価の良いキットです。

1/700の「由良」のキットは、残念ながら発売されていません。フジミとタミヤ共に長良型軽巡6隻中4隻発売していますが、「由良」は発売されていないのです。

<作例について>

タミヤのキットは考証およびモールドもそこそこであり、素組み派の私には組み上げてからの印象が大変良いため、安心して建造できるキットと思います。

「鬼怒」のキットではほぼ素組みです。航空機作業甲板下の支柱および艦首波除板の追加、左舷前部のボートダビットおよびその取り付け位置の変更を行っています。また、25o単装機銃はピットロード社(以降PT社と略す)のものに換装しました。魚雷発射管はキットの指示のように前向きではなく後ろ向きに固定されていたようなので、取り付けを変更しています。

一方、「由良」のキットは「鬼怒」をほぼストレート組みで、艦橋部分の天蓋と側面の変更に伴う追加工作と後楼のデリック形状を修正しました。後は「鬼怒」と同様の修正です。

船体色は我が造船所規定のGSIクレオスの呉工廠グレー、リノリウム色はPT社の艦船カラーを使いました。その他はすべてGSIクレオスのMrカラーを使用しています。

旧日本海軍水雷艇 鴻型
<実艦について>
ロンドン海軍軍縮条約により、小型艦艇の保有量についても制限された日本海軍は、制限外の600tクラスの艦艇を建造する計画をしました。この小さな船体に駆逐艦並の武装を施したものを水雷艇と呼ぶようになります。
第一次艦艇補充計画により千鳥型水雷艇4隻の建造しましたが、船体が小さすぎたため、駆逐艦の代用には無理がありました。
1934年の第二次艦艇補充計画では、800tクラスに拡大した16隻の水雷艇を計画。このうち8隻が建造され、鴻型水雷艇として竣工しました。
1番艦「鴻」は1936年に舞鶴工廠で竣工、1944年にサイパン沖で沈没。3番艦「隼」は1936年に横浜船渠で竣工し1944年にミンドロ島付近で沈没。5番艦「雉」は1937年に舞鶴工作部で竣工し、終戦時残存。6番艦「雁」は1937年に横浜船渠で竣工し、1945年にジャワ海で沈没しています。
<キットについて>
1/700キットはピットロード(PT)のスカイウェーブ大戦シリーズより、W39「鴻」とW42「雉」として発売されています。共に2隻セットで、竣工時および大戦中の両方の姿を再現可能です。
<作例について>
まったくの素組みです。船体色はGSIMr.カラーの舞鶴工廠グレーを使用。リノリウム色はPT社の艦船カラーです。なお、大戦中は舷側などの艦名表記はされませんでしたが、好みで行っています。

旧日本海軍戦艦 三笠
<実艦について>
1899年1月24日、イギリスのバーロー・イン・ファーネス造船所で起工され、1902年3月1日に竣工しました。
1905年の日本海海戦で旗艦として活躍、しかし、その年に停泊中の後部弾薬庫火災により爆沈、1906年8月に浮揚に成功して艦隊に復帰しました。
1921年には北樺太の警備に従事し、座礁。離礁に成功しますが、一等海防艦に格下げされています。1923年に廃艦となることが決定され、記念艦として1926年に一般公開されました。その後、大戦により荒廃しますが、戦後に補修されて現在に至ります。
<キットについて>
1/700「三笠」のプラキットは、シールズモデル(SM)のフォーサイトから発売されています。小国の日本が大国のロシアに完勝した日本海海戦において、旗艦として活躍した有名な戦艦です。
SMは日本海海戦時に活躍した艦艇をラインナップしており、モールドは詳細ですばらしいです。ただ、船体が左右分割式なので、甲板との合わせに苦労するなど、組み立てはどちらかといえば難しいと思います。また、主砲の砲身の整形が歪であり、私の建造したものは超楕円でした。(T_T)
でも、構造が複雑な明治時代の艦艇ということもあって存在感があり、苦労して建造すれば完成時の喜びも大きいと思います。
<作例について>
後部マストの取り付けは、後部艦橋と接するため、マントレット装着時は要注意です。前後の旗竿は脆いので、整形には十分注意してください。
作例はほぼ素組みですが、以下の追加工作を行っています。
・前部艦橋下の補強材は、伸ばしランナーにて雰囲気重視で再現しました。
・艦首および艦尾舷側の副砲は、キットの作成指示では砲身のみを取り付けるのですが、船体内側に台座が再現されているため、砲室の窓をくり貫いて、実艦に近づけました.。

船体は、我が造船所では戦艦に佐世保工廠グレーを使用していますが、大きさから呉工廠グレーとしました。木甲板はGSIクレオスのタン色にタミヤのエナメルカラーのブラウンで変化を付けました。
旧日本海軍 駆逐艦 峯風 夕風
<実艦について>
 1917年に成立した戦艦8隻、巡洋戦艦4隻を基幹とする八四艦隊完成案に伴い、主力艦に随伴する駆逐艦として9隻を計画、翌年にも9隻が計画されたのが峯風型駆逐艦です。
しかし、1918年計画9隻のうちの3隻が船体幅を拡大した神風型駆逐艦となり、また3隻が兵装配置を変更した改峯風型となったため、峯風型は計12隻が建造されました。
 峯風は1920年5月29日に舞鶴工廠で竣工し、峯風型のネームシップとなります。1941年には対馬海峡方面で哨戒、1942年には佐世保近海で哨戒後サイパン、トラックなどで船団護衛に従事します。同年後半より1943年には東シナ海方面で船団護衛に従事し、1944年2月10日台湾沖にて米潜水艦の雷撃を受け沈没しました。
 夕風は1921年8月24日に三菱長崎造船所で竣工し、峯風型の10番艦となります。1941年4月10日には第一艦隊第3航空戦隊に編入され、1942年5月29日にミッドウェー作戦に参加。同年6月20日に第一航空艦隊付属に編入され、内海西部にて空母「鳳翔」の着艦訓練を支援します。以降、終戦まで着艦訓練や対潜哨戒に従事し、戦後、復員輸送艦として活躍、1947年8月14日に賠償艦としてシンガポールで英国に引き渡されました。

<キットについて>
 峯風型駆逐艦の1/700プラキットはスカイウェーブシリーズ(SW)のピットロードから発売されています。
 キットのモールドは詳細にて力強いSWキット特有のものです。一般的にも実艦の特徴を良く捉えている好キットと評価されているようです。対空兵装強化の「夕風」は一部甲板上のモールドを削除するように指示されています。また、僚艦「汐風(1945)」の作成例も記されています。

<作例について>
 峯風は1920年の竣工当時の艦橋天蓋が固定されていない状態を表しています。ほぼ素組みですが、艦橋部分は説明書の指示どおり、窓枠を削り、プラ棒にて天幕支柱を再現しました。
 夕風は1944年の対空兵装強化仕様を表しています。ほぼ素組みですが、船体にプラ棒にて舷外消磁電路を再現しました。後は説明書の指示どおり、魚雷発射管基部や予備魚雷格納筐を削る作業を行いました。
 船体や上部構造物は、我が造船所の駆逐艦色である舞鶴工廠グレーで塗装しました。リノリウムはPT社の艦船カラーのリノリウム色で塗装、そのほかはすべてGSIクレオスのMr.カラーを使用していました。
 なお、船体側面中央部と艦尾の艦名は大戦中に消されていましたが、この時を再現する「夕風」では個人的な好みで艦名を再現しています。